なぜ施術者は自分を下げるのか——「心が身体の主人」という話

施術への想い
Picsum ID: 336

「クソ理学療法士」と言われたことがあります。

冗談で、です。

怒りませんでした。むしろ、そう言ってもらえる関係になったことが、少しうれしかった。


なぜ自分を下げるのか

このシリーズを読んでいただいた方は、気づいているかもしれません。

「マゾかな?」「石を拾ってきます」「かみのて(紙の手)」——私はよく、自分の人間性を下げるようなことを言います。毎回怒られます。

これは、面白いことを言いたいわけではありません。

人の心を傷つけることが、本当に苦手です。だからネタは、わかりきったものしか使いません。自分が下がるものしか使いません。患者さんが笑ってくれるとしたら、私の的外れさに対してであって、患者さん自身に向けたものは一つもない。

その根っこにあるのは、「心が身体の主人である」という信念です。

心が固まっていれば、身体も固まる。心が安心すれば、身体は緩む。プラセボ効果の研究が示していることも、「分かってもらえると緩む」という臨床の実感も、全部ここに繋がっています。

だから、患者さんの心の構えを解くことは、施術の一部です。自分が少し下がることで、それができるなら、安いものだと思っています。


「口を悪く言ってもらえる」ことの意味

おかげで、患者さんは割と何でも言ってくれます。

「全然感じないんですけど」「逆に重くなりました」「わざと痛いことをするように見えます」——遠慮のない言葉が来るほど、施術の精度は上がります。

患者さんが「こんなこと言っていいのかな」と遠慮して飲み込んだ情報の中に、本当の原因が隠れていることがある。それが出てこない限り、施術者はずっと的外れな場所を触り続けることになる。

隠し事のない関係は、信頼の話であると同時に、臨床精度の話です。

「クソ理学療法士」と冗談で言える関係は、その関係が成立した証拠です。腹を立てるどころか、ありがたいと思っています。


なぜ気にならないのか

もう一つ、正直に言います。

そういう言葉が気にならないのは、自分がやってきたことに、そこだけは自信があるからだと思います。

自信家ではありません。わからないことはわからない、できないことはできないと言います。でも、積み上げてきた時間と経験は、自分が一番よく知っている。それと照らし合わせたとき、言葉は刺さらない。

自分の人間性は下げても、自分の仕事への信頼は下げない。

この二つが同じ根っこにあります。


「腕に自信があるから、急がない」

患者さんのやりたいことを、全力で応援したいと思っています。

そのためには、本当のことを全部言ってもらう必要がある。遠慮なく、格好つけずに。「クソ理学療法士」くらい言えるくらいに。

だから自分を下げます。だから怒りません。だから急ぎません。

心が身体の主人である、と信じているから、まず心から。

それだけです。

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【免責事項】本記事は情報提供を目的としており、特定の症状の診断・治療効果を保証するものではありません。

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