幸福とは、「好き」を持っていることなのかもしれない

施術への想い

私の仕事では、 これまで本当に多くの患者さんと接する機会がありました。

その中で強く感じることがあります。

人は、 「悪いところが無くなれば幸せになれる」 とは限らないということです。

むしろ実際には、 どこかに痛みや不安を抱えながらでも、 生き生きされている方はいる。

逆に、 大きな問題が無いように見えても、 どこか心が沈み切ってしまっている方もいる。

この差は何なのだろう。

そう考え続けて、 最近ひとつ思うことがあります。

それは、 “好き”があるかどうかです。

例えば、 推しがいる人。

アイドルでも、 俳優でも、 スポーツでも、 アニメでも、 ゲームでもいい。

好きなものがある人は、 どこかに「心の戻る場所」があります。

診察や処置の時は辛そうでも、 推しの話になった瞬間だけ、 急に表情が変わる。

声のトーンが上がる。

「今度ライブがあるんです」 「新しいグッズが出るんです」 「次の試合が楽しみで」

そう話される時、 その人は“患者”ではなく、 ひとりの生きている人に戻る。

私はあの瞬間が、 とても大事なことのように感じています。

人間は、 理屈だけでは生きられません。

「正しい」 「役に立つ」 「効率が良い」

もちろん大切です。

でも、 それだけでは心が擦り切れてしまう。

人を最後に支えるのは、 案外もっと個人的で、 もっと非効率なものだったりします。

好きな音楽。 好きな作品。 好きな店。 好きな景色。 好きな人。

そういう、 “何ものにも代えがたい存在”。

それがあるだけで、 人は明日まで耐えられることがある。

そして、 好きなものほど、 人は時々隠したくなります。

「こんなの好きって言ったら変かな」 「年齢的に恥ずかしいかな」 「本気すぎると思われるかな」

だから、 少し隠す。

でも、 私はそれは悪いことではないと思っています。

好きなものというのは、 心の柔らかい部分だからです。

笑われると傷付くし、 否定されると、 自分そのものを否定された気持ちになる。

だから守る。

それは弱さではなく、 大切だからこその反応なのだと思います。

ただ、 もし出来るなら。

隠さなくてもいい人生の方が、 きっと幸せです。

「それ、好きなんですね」 と普通に言える。

「分かります」 と返ってくる。

あるいは、 理解されなくても、 否定されない。

それだけで、 人はかなり救われる。

幸福とは何なのだろう。

昔は、 お金があることや、 成功することなのかと思っていました。

でも、 色々な人を見ていると、 少し違う気がしています。

幸福とは、 “好き”を持ち続けられること。

苦しさの中でも、 心が向かう先があること。

「これがあるから、 もう少し頑張ろう」

そう思えるものがあること。

人は案外、 そういう小さな灯りで生きています。

だから私は、 推しがいる人を見ると、 少し羨ましくなるのです。

ちゃんと、 “心を救う場所”を持っているから。

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