近年、人工生命の研究は大きく進歩しています。
生命維持に必要な最小限の遺伝子が解明され、人工的に自己複製する細胞も作られるようになりました。
治療家としては大きな希望を感じます。
難病や再生医療の未来を考えれば、多くの人を救う可能性があるからです。
しかし同時に、ある疑問も浮かびます。
もし生命を構成する部品をすべて理解できたとして、
私たちは本当に「生命そのもの」を理解したことになるのでしょうか。
一方で、少し怖さも感じています。
生命を作れるようになった時、人間はどこまで踏み込むのか。遺伝子を自由に設計する。寿命を大幅に延ばす。「死とは何か」という概念そのものが変わるかもしれない。
技術は善でも悪でもありません。問題は、使う人間の心です。
便利さや利益だけを追い求めたとき、人は時として大切なものを見失う。生命を理解することと、生命を尊重することは別の話だからです。
長年、臨床を続けていると気づくことがあります。
同じ病気でも、回復する人としない人がいます。同じ施術でも、反応が違います。数字だけでは説明できない変化が起こることがあります。
希望を持ったことで、動けるようになった人がいました。家族の言葉で、元気を取り戻した人がいました。諦めていた趣味を、再開できた人がいました。
そうした姿を見るたびに、思うんです。
人間は機械ではないな、と。
どれだけ細胞の仕組みが解明されても、そこには説明しきれない何かがある。
医学の進歩を否定したいわけではありません。むしろ進歩してほしいと思っています。
ただ、忘れてほしくないことがある。
生命を理解することと、生命を大切にすることは、同時に進まなければならない。
どれだけ技術が進歩しても——
人を思いやる心。
誰かの痛みに寄り添う気持ち。
命を尊ぶ姿勢。
これだけは失ってほしくない。
生命とは何か。
54歳になった今でも分かりません。
おそらく死ぬまで分からないでしょう。
それでも私は、明日も患者さんの身体に触れます。
痛みの奥にある不安に触れ、
動ける喜びに触れ、
その人が生きてきた時間に触れます。
生命とは単なるDNAではなく、
その人が歩んできた人生そのものなのかもしれません。
だから私は今日も、人に触れる仕事を続けています。
> 【免責事項】
> 本記事は施術者個人の考えをまとめたものです。特定の治療効果を保証するものではありません。体の不調については、医療機関にご相談ください。
