「治したい」だけでは、足りない——科学は僕の思い込みにブレーキをかけてくれる

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「これで絶対良くなります」とは、僕は言いません。

言い切ってしまえば、患者さんはきっと安心する。それはわかっています。それでも言わないのは、意地悪でも自信がないからでもありません。理由はもっと単純です。


「治したい」は、暴走する

臨床に立っているとき、僕がいつも考えているのはとてもシンプルなことです。

「どうすれば、この人はもっと良くなるだろうか。」

これが原点です。でも、この気持ちだけで押し切ると、危ないことになります。

「自分はこれで多くの患者さんを治してきた」という経験は、確かに財産です。でもその確信が強くなりすぎると、いつの間にか「これで治る」という思い込みに変わっていく。そうなったとき、治療の主役は患者さんではなく、施術者の自己満足にすり替わっています。

治したい気持ちが強い人ほど、この罠にはまりやすい。皮肉な話です。


科学は、答えをくれるものじゃない

だから僕は、科学を大事にしています。

誤解されがちなんですが、科学は経験を否定するものではありません。「患者さんを良くしたい」という気持ちを、独りよがりにしないための羅針盤です。

一方で、科学も万能ではありません。

疼痛は主観的な体験で、完全には数値化できません。運動療法も鍼灸も、効果が示されている部分はあっても「なぜ効くのか」がすべて解明されているわけではない。画像所見と症状が一致しない人も、珍しくありません。

つまり現場には「わかっていること」と「わかっていないこと」が、いつも混在しています。


経験と科学、両方が要る

だから僕は、どちらか一方には偏りません。

経験から仮説を立てて、その仮説を科学で確かめる。科学で説明しきれない現象に出会ったら、また新しい仮説を立てて検証する。この往復こそが、医療を少しずつ前に進めてきたんだと思っています。

経験は、まだ科学が説明しきれていない現象に気づくための出発点。
科学は、その気づきが思い込みで終わらないための羅針盤。

理学療法士だから理学療法だけを学ぶ、というつもりはありません。鍼灸師だから鍼灸だけを信じる、というのも同じです。患者さんにとって必要なら、分野に関係なく学び続けます。自分の治療法を正当化するためではなく、目の前の人により良い選択肢を渡すためです。


資格より、問い続けること

僕は理学療法士で、鍼灸師でもあります。

でも本当にこだわりたいのは、資格でも肩書きでもありません。理学療法か鍼灸か、西洋医学か東洋医学か——その枠組みよりも大事なのは、「どうすればこの人はもっと良くなるのか」を問い続けることです。

昨日までの最善が、明日も最善とは限らない。患者さんも、一人として同じではない。だから現状に満足したら、その時点で足が止まります。

治療法や考え方は、人それぞれ違っていて構いません。ただ「患者さんを少しでも良くしたい」という方向だけは、職種や資格の違いを越えて共有できるし、しなければならないと思っています。

科学は答えをくれません。かわりに、より良い問いをくれ続けます。

「もっと良くする方法はないだろうか。」

その問いを持ち続ける限り、医療に対する勉強に終わりは無いと思います。

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【免責事項】本記事は情報提供を目的としており、特定の症状の診断・治療効果を保証するものではありません。

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